今のイラクを聞く〜最激戦地ファルージャから〜

講演会のご案内

 ニュースで目にする機会のめっきり少なくなったイラク。
2003年に始まったイラク戦争において、最も激しい戦闘が行われたファルージャから現在2名の医師が来日し、愛知医科大学病院で医療研修を受けています。
 1月31日に来日したばかりのアブデルワハブ医師とオマール医師は、米軍に占拠された病院で体を張って犠牲者を守り抜いた医師たちです。両名には、戦闘から現在に至るまでの日常生活や劣化ウラン弾の被害を含めた医療現場の状況を医師としての立場からお話いただきます。
 これまでのバスラ出身の医師とはまた違ったお話が聞けることでしょう。是非ご参加下さい。

 

【お話しする医師】

・アブデルワハブ・ムハンマド・アローシー医師

 (ファルージャ総合病院整形外科医)

・オマール・ラビーウ・ハーシム医師

 (ファルージャ総合病院心臓外科医)


日時 2012年2月24日(金)19:00-20:30
場所 名古屋伏見スクエアビル9F 愛知保険医協会・伏見会議室


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    会議室電話番号 052-223-0415

主催 核戦争に反対する医師の会・愛知

    セイブ・イラクチルドレン・名古屋

 

詳細につきましては、下記よりチラシをダウンロードください。

http://db.tt/rnJH1vvx


 

マージン医師が来日、研修先は名大病院

 

 7月30日朝、11時過ぎに桜山のアパートに行き、ドアベルを数回鳴らしましたが、しばらく反応がなく、ようやくマージンさんがドアを開け、「昨夜はほとんど眠れなかった」と一言。その時点から出かける準備をし始め、アパートを出発。地下鉄の乗り方をゆっくり説明しながら名大病院へ向かいました。

 名大病院前の鶴舞駅に着き、出口で名大院生でデイズ・ジャパン写真展ボランティアの釜田さんと合流。釜田さんはイギリスにいたことがあるとのことで英会話は問題なく、大学で留学生相手に日本語を教える活動もおこなっているとのことで、とても慣れている感じ。マージンさんとも意気投合。釜田さんを含め、4人で名大病院、鶴舞公園、図書館など一緒に歩き、その後、アパート周辺の食料品店を案内。遅めの昼食を取り、アパートでしばらくマージンさんの質問の受け答えをしていました。

 ラマダンに向けてか、マージンさんは方角を知りたいとのことで、コンパスを持参しており、それを釜田さんのアイフォーンのコンパス表示のアプリと照らしあわせてみたり、
また、日の出と日の入りの時刻も知りたいとのことで、ネットで検索して、それらの時刻を掲載しているサイトをみていました。

 急に日本に来て、不安で勝手がわからないながらも、この環境に少しずつ慣れようと
努力されていましたが、やはり、ささいなことでも、まったくわからないままの状況に
数時間ずっと置かれてしまうと本人はかなり気疲れするようで、アパートでの生活に
関しても、できるだけボランティアが頻繁に確認する必要がしばらくのあいだはあるかと
思いました。

 夜には歓迎会を開催し、マージンさんは食事にも満足されていたようですし、参加者をビデオカメラで撮影されたり、とても楽しんでいるようでした。

 やはり、街案内とはいえ、ボランティアは最低2人は必要、3人なら1人あたりの精神的負担もかなり減りますし、会話もずっと弾みますね。楽しい一日でした。

服部

(NO.29-2011.8.9)

マージン医師が来日、研修先は名大病院

 

 7月29日、イラクから、マージン・アルアサディ医師が到着しました。
SIC−Nとは関係の深いアサード・カラフ医師(研修第1号)をsupervisorとして血液専門医となった34歳の気鋭です。
 8月1日から9月末までの2ヶ月間、名古屋大学病院の血液内科・腫瘍科で主として血液病の診断について学ぶ予定です。同じ名大の病理科にも全面協力をいただける予定で、非常に内容の濃い研修になるでしょう。

 7月31日、マージン医師は、豊橋市で行われた『子どものための平和展』で、「平和といのち」と題して講演。イラク人であり医師でもある立場から、いのちの大前提となる平和の大切さ、戦争の罪深さを訴えました。

 前々日夜遅くの名古屋到着で、スーツケースを解きながらの講演準備でしたが、まじめな人柄そのもので、「小学生にも分かるような話を」のリクエストに応えようと原稿作りと推敲を重ね、本番に臨みました。

小野

(NO.28-2011.8.8)

ニュースレターNO.7を発行しました

 

 イラク支援のとりくみをまとめたニュースレターを今年も発行しました。

 毎年、募金を始め様々な形でご支援をしていただいているみなさんにお送りさせていただきました。

 2003年2月に小野代表がイラクを訪問して以来始まったイラクへの医療支援も満7年を迎えました。メディアから流れるイラクの情報は、当時から比べると圧倒的に少なくなり、時間の経過の中で日本国民の記憶から薄れつつあります。しかし、今も多くの方々がイラクの悲惨な現実に胸を痛め、支援を続けてくださっています。

 セイブ・イラクチルドレン・名古屋は、これからもみなさんとともに戦争が引き起こす現実を見つめ、イラクの人々と手をつないで支援を続けていきます。

 

 

 ニュースレターNO.7(PDF:2030KB)

(NO.27-2010.6.25)

針(骨髄針、生検針等の特殊針)の寄付

 医療針メーカーの潟^スクさんより寄贈していただいた生検針などの特殊針を、イラクの病院にすべて届けることができました。

(1)モハメド医師を通じて、バグダッドの中央子ども病院へ

(2)アルアリ医師を通じて、モスルのイブンシーナ病院へ

(3)カリド医師とアブドルアミール医師を通じて、バスラのゼネラル病院へ

(4)アサード医師を通じて、バスラのサドル病院とバスラ産科小児科病院へ

 これらは、ひとえに、医療針メーカーの潟^スクさんのご協力によるものです。ありがと

うございました。

(NO.26-2006.4.27)

アッバース医師が帰国

 3月26日、アッバース医師が帰国しました。

 慣れない冬の寒さ、大晦日に誕生したお嬢さんにも会えないというたいへんな中で、6ヶ月を過ごしました。

 とにかく勉強熱心で、少し休むように勧めても、遊びに来た訳じゃないから、と、暇さえ

あれば医学書を読んでいるという毎日でした。

 研修以外では、仙台での講演会の際に立ち寄った松島の光景が忘れられないそうです。「説明しにくいけど、(紅葉の)京都よりもさらに強く日本的なものを強く感じた」との

ことでした。

 帰国の際、アッバース医師は「皆さんや石口教授チームにどうお礼を言っていいか分かりません。帰国したら、保健省にもかけあって、ぜひバスラにIVR( )の種をまきたいと思います。日本で得た知識や経験をイラクの患者さんのためにいかすことを誓います。」と語っていました。

(NO.25-2006.3.26)

バスラゼネラル病院小児科への支援

 小児科部長のアブドルアミール医師を通じて、着々と支援が進んでいます。大阪の「イラクを支援する医療者の会」の全面協力を得ての支援実施です。

 ゼネラル病院側は、細かい医療器材のほか、エアコン整備、コンピュータシステム導入、母子栄養指導教室の導入を支援の主な柱として求めていましたが、そのいずれも実現することができました。

 また、副次的なことですが、「遠い日本の市民が支援してくれている」ということが、バスラの比較的裕福な人たちや国内NGOからの新たな支援を呼び起こしているそうです。また、病院職員のモチベーションも高くなってきているとのことです。

(NO.24-2005.12.6)

カリド医師、帰国

 12月4日、3ヶ月間の研修を終えたカリド医師が、関西空港から帰国しました。

 帰国の3日前に、京都の同志社大学で世界学生会議の発言者を務め、前日の12月3日にも、帰国準備のあわただしいなかで、南山大学での講演と交流をこなすなど、最後の最後まで積極的に国際交流に尽くし、若者たちに平和のメッセージを送っていた姿に心を打たれました。

 関西空港へは、整形外科治療薬品と、バスラゼネラル病院用の生検針の大きなダンボール箱をかかえて。「私にとってはかけがえのない3カ月でした。この間皆さんにしていただいた親切は一生忘れません。皆さんも私を忘れないで下さい。いつかイラクがもう少し落ち着いたらぜひ来て下さい。友好がいつまでも続くよう願っています。」と語り、機内の人となりました。

 もちろん私たちも、イラク再建への情熱にあふれた紳士的なあなたを、忘れることはないでしょう。

(NO.23-2005.12.4)

カリド、アッバース両医師、お茶会初体験

 11月27日、両医師は、岐阜県のお寺(覚成寺)でお茶会を楽しみました。

お寺の本堂で、和服に着替えての本格的なもの。先生が手取り足取りで教えて下さり、張りつめた中にもくだけた雰囲気で茶会は進行し、お二人は日本の伝統文化を楽しまれました。

 カリド医師は、どういうわけか正座がとってもお上手で、余裕。アッバース医師は悪戦苦闘。足がしびれてモソモソしているうちに、先生から「くずしていいですよ。」と救いの手。安堵したようでした。

 お二人とも「抹茶は思っていたより苦くはない、おいしかった」そうです。

(NO.22-2005.11.27)

アッバース医師が帰国

 10月3日、バスラのサドル教育病院放射線科から、アッバース医師(37)が研修のため来日しました。これから来年3月末まで、愛知医科大学放射線科の石口教授の下で、CT・MRI・IVR等を中心に学ぶ予定です。

 飛行機の遅れで乗り継ぎができず、丸24時間ドバイ空港でキャンセル待ち手続きをしていたため、到着時は疲労感が隠せませんでしたが、翌10月4日の朝から元気に愛知医大病院で研修を受けています。

 「バスラの病院には、器械がない、あっても骨董品のようなものばかり、ドクターには経験がない、のないないづくしです。そのため、患者さんは放射線科の恩恵を受けられません。日本で学んだことをぜひイラクの患者さんたちに生かしたい。」と抱負を語っています。

 プライベートでは、小さい娘さんが2人いて、この12月には第3子誕生予定とのこと。
そんな状況の中での来日に頭が下がります。

(NO.21-2005.10.3)

「すべてを持ち帰ってイラクの復興に」カリド医師が来日、愛知医大で研修

 セイブ・イラクチルドレン・名古屋では、昨年に続き2人のイラク人医師の医療研修サポートを始めました。研修のため来日したのは、カリド・イドリッシ医師(40歳、整形外科)とアッバース・アルカナン医師(37歳、放射線科)で、カリド・イドリッシ医師は8月27日に来日し、12月までの日程で、すでに研修に入っています。また、アッバース・アルカナン医師は10月2日に来日、来年3月まで研修をする予定です。研修の受け入れについては、愛知医科大学付属病院に全面的にご協力いただいています。

 カリド医師は8月28日夜に来日し、イラクで増加している骨のガンの治療法のほか、広く整形外科医療を学びます。

 来日翌日に、愛知医科大学内で行われた記者会見で、カリド医師は「日本で勉強できてうれしい。日本のすべてを持ち帰ってイラクの復興に尽くしたい。勉強だけでなく、日本の文化にも触れたい。トヨタも、ヒロシマも行ってみたい」と意欲満々です。

 指導担当である、整形外科で腫瘍学を専門とする佐藤啓二教授からは、「私の持っている知識と経験をすべてイラクに持ち帰ってほしい。すべて教えます」と。

 10月からアッバース医師の指導担当となる石口教授からも、「イラクで増えているという悪性腫瘍のために、放射線は重要です。私の知識経験がイラクに役立てるなら光栄です」とあたたかいエール寄せていただいています。

(NO.20-2005.9.17)

医療器具製造メーカー「タスク」の協力で、貴重な生検針イラクに届く

 8月末にイラクでは大変不足している生検針を送ることができました。

 これは昨年の夏と秋に実施した医療機器をイラクの病院へ送るとりくみを愛知県保険医協会のホームページで知った(株)タスク栃木県栃木市・代表取締役 川嶋 幸雄氏)のご協力によるもので、第1便となる骨髄生検針などダンボール1箱、221本がハディーサ(バグダッド北西50q)で仕事をしているモハメド医師(バグダッドセントラル病院)のところに届けられました。イラクでは生検針などの注射針類も不足しており、現地からは「1本でも、2本でも」とリクエストされていました。

 (株)タスクは、注射の針(主に生検針、骨髄穿刺針、麻酔針、歯科用注射針)を製造・輸出・販売をしている会社で、今回は骨髄生検針、骨髄穿刺針、骨髄移植針、硬膜外針、自動・手動各種生検針など、段ボール箱6箱17種類721本の生検針の無償提供を受けました。

 今後、9月末に帰国するアル・アリ医師や12月帰国予定のカリド医師らに預け、バスラ教育病院とバスラ母子病院などに届けられます。

(NO.19-2005.9.17)

バビロンに初支援、「貧しい病院に命を吹き込んでくれた」と感謝の声届く

 ハッサン・アボッドさん(バビロン在住のジャーナリスト、岐阜に3年間留学)の協力で、バビロンのヒンデイーヤ病院へ約5000ドルの医薬品支援が進められています。バビロンは、古代バビロニアの空中庭園遺跡等で有名な地域です。以下は、ハッサンさんによるレポートです。


 ヒンデイーヤ病院は、古びた建物、はがれた壁、備品類も埃にまみれたままの小さな病院です。イラクの中でも最も悲惨なままに置かれている病院の一つと言っていいでしょう。椅子が壊れているため、強い日射しの下で長時間、女性や子どもたちが立って順番を待っています。毎日300人以上の貧しい患者が押し寄せてくるのですが、頭痛用などの簡単な薬すら不足しています。戦争の被害者(身体障害者)に必要な義足や杖などももちろん皆無です。

 当日、私と運転手が指定の薬等の搬入をし始めると人だかりができ、病院職員だけでなく母親や子どもたちまでもが作業を手伝ってくれ、薬品倉庫もいっぱいになりました。人々はたいへん喜び、口々に日本の人たちへの感謝の言葉を口にし、中には涙ぐ
んでいる母親も何人かいました。サアド少年の母親は「私たちを助けてくれる日本の方々に心から感謝します」と喜びを表し、ハーラ少年は「ぼくは、よく嘔吐したり、貧血で倒れたりして病院に来るけど、いつも薬がなかった。でもこれからは薬があるんだね」と言っていました。片足のハイタム氏も杖を与えられました。病院のマネージャーや、担当のモハメド医師、リアダー医師からは「あなたと日本の人たちは、この貧しい病院に命を吹き込んでくれた。これで私たちも見せかけだけではない治療ができます」との言葉がありました。

 今イラクの人々に本当に必要なことは、公式セレモニーでも、外国大使の儀式でも、
耳障りのいいスピーチでも、守られない約束でも、ありません。あなたたち日本の人々がしてくれたような「見事な実践」(noble deeds)こそが必要なのです。あなた方は、苦しんでいる人たちに希望を下さったのです。

 

ハッサン・アボッド・ハッサン

(NO.18-2005.5.30)

ナシリアへの支援が、着実にすすむ

 この2月から、イラク南部の都市ナシリアへの医薬品援助にとりくんでいます。これは、大阪の「イラク支援医療人ネット in OSAKA」との共同プロジェクトです。

 ナシリヤは、自衛隊が派遣されているサマーワの南部に位置し、周辺部も含め人口180万ほどの古都です。サマーワとは比較にならないほどの大都市で、各病院はサ
マーワの重症患者も引き受けています。しかし、1960年代以降の反政府運動のためサダム政権に徹底的に嫌われ続け、下水の設備も医療設備も放置されたまま。下水設備の不備のため、年に数回は病院全体が水浸しになり機能不全となるほか、感染症が非常に多く、たくさんの抗生剤が必要な地域です。
 私たちは、このようなナシリアの特殊性を考え、総合病院(200床)、母子病院(285床)、ローカル病院(200床)の3病院へ、抗生物質と点滴用品を中心とした支援にとりくんでいます。
 2月末にナシリア総合病院に82万円分、4月にナシリア母子病院に82万円分の医
薬品支援が完了しました。全医薬品をバグダッドで比較的安価に調達できたため、い
ずれの病院へも医薬品を大きなトラックに満載しての支援となりました。各病院から「私たちの希望どおりの薬品を届けてくださってありがとう。協力してくださった日本の市民の方々に、どうか私たちからの感謝の気持ちを伝えてください。」とのメッセージが寄せられています。

(NO.17-2005.5.21)

アッバース君のお父さん、お母さんからメッセージ届く

 アサード医師を通じて、アッバース君の母アヌワルさんと父アリさんの声が伝えられました。


 日本の皆さん、アッバースの治療を応援していただいた皆さん。

 アッバースは亡くなりましたが、たいへん幸せな子どもでした。日本で治療していただいたおかげで、イラクに帰ってからはたいへん健康で、亡くなる直前まで全く苦しむことなく、突然静かに息を引き取ることができたからです。

 イラクにもどってからのアッバースは、とても元気で、体も大きくなり体重も増えていました。もとのきれいな色の髪が伸びて、目は輝いていました。少し大人びた感じで、私たちおとなと一緒にイスラムのお祈りもできるようになってきていました。

 

 私たちは、アッバースを守るために細心の注意を払っていたのですが、残念ながら、
死という悲しい結果を避けることはできませんでした。人間の死の問題である以上、
私たちの意思やどんな医学の手も及ばないことだったのかもしれません。

 

 イスラムのすべての子どもたちがそうであるように、アッバースも鳥のようにとび
たって天国で安らかに過ごしている、と私たちは考えています。私たちは、今もアッ
バースを想い続けて、そして、アッバースの純粋な魂を感じています。

 本当にありがとうございました。

アッバースの母:アヌワル

父:アリ

(NO.16-2005.3.15)

アッバース君が急死

 

 悲しいお知らせです。

 2月6日、アッバース君が急死しました。

 イラクに帰国してからずっと体調がよく、2月5日も元気で兄弟たちと遊んでいたそうですが、夜中に急に発熱し、翌朝病院に行ったときにはすでに手遅れだったそうです。死因については、白血病に起因するものか、それとも他の病気によるものかはっきりしないとのことでした。
 広く全国の皆さんにご支援いただいて、「イラクニカエル。サヨナラ。」と元気に手を振って帰国したアッバース君。バスラでも他の白血病の子どもたちや医師たちの希望のシンポルだったというアッバース君。日本の多くの人々に平和の大切さを身をもって示してくれたアッバース君。

 深い悲しみの中で、彼の冥福を祈ります。そして、彼が私たち日本人に残してくれたものを、追い続けます。

(NO.15-2005.2.12)

2005年2月19日

ご支援いただいた皆様へ

セイブ・イラクチルドレン・名古屋

代 表  小野 万里子

(TEL 852-1336、 FAX 858-3851)

 

白血病のアッバース君の急死にあたって

 

1.すでに新聞等で報道されておりますように、2月6日、白血病のイラク人少年アッバース君(6歳)がイラクで急死しました。

 劣化ウラン弾を浴びた兵士を父に持ち、高度放射能汚染地域であるバスラで生まれ育った、典型的なウラン弾禍の子どもでしたので、私どもも何とか救命したいと取り組んできましたが、残念な結果になりました。

 

2.現地主治医のフサーム医師によると、死亡時の状況は以下のとおりです。

・アッバースは帰国以来ずっと元気にしていた、

・死の前日の2月5日も、日中はいつものように兄弟たちと元気よく遊んでいた、

・その夜高熱を出し、未明にはけいれんも始まったため、病院に搬送された、しかし、来院時にすでに意識はなく、呼吸にもノイズが発生していて手の打ちようがなく、午前10時にそのまま息を引き取った。

・死因は、感染性の髄膜炎を疑うが、あまりに短時間の容態急変で、断定できない。

 

3.日本全国からのご支援で、小児白血病の分野では世界のトップクラスとされる名古屋大学病院で治療でき、経過良好で帰国した彼をも、結局救命することはできませんでした。

 バスラでは、発病後アッバース君のように長く(と言っても、わずか1年9ヶ月間ですが)生きられている子どもはほとんど皆無で、「まだ生きている」と、激増する白血病の子どもたちの希望のシンボルでもあったそうです。そのようなことも併せ考えると、無念で無念で、言葉が出ません。

 

4.アッバース君は、「イラクジン ダカラ イラクニ カエルヨ バイバイ」と日本語で言って帰国しました。そう、彼はイラクの子だから、ほかのイラクの子たちと同じように死んでいったということでしょう。

 彼の後ろには、何千人もの死にゆく「アッバースたち」が列をなしています。私たちは、これからも「アッバースたち」を助けるために支援活動を続けていきます。

 どうか、皆様も、折にふれ、彼のあの大きな目を、ツルツルのあの頭を、思い出してあげて下さい。そのことが戦争も劣化ウラン兵器もない平和な世界を作っていくための礎になると、私どもは信じています。

 アッバース君をはじめイラクの子どもたちへのこれまでのご支援、まことにありがとうございました。そして、今後とも引き続いてのご支援をよろしくお願いいたします。お知り合いの方々にもメールやFAX等で本文をお知らせいただければ幸いです。

 

バスラ・サドル教育病院がホームページでセイブ・イラクチルドレンを紹介

 セイブ・イラクチルドレン・名古屋の活動が、イラクの病院(バスラのサドル教育病院)のウェブページに取り上げられました。

 小さな活動ですが、院長のカリド医師自ら、「セイブ・イラクチルドレン・名古屋は、医薬品や医療機器の支援だけでなく、最良のそして有益な医師のスキルアップの場も提供してくれた。バスラの将来のがん治療に向けての大きな一歩となるだろう。このような関係を広く世界のNGOとの間でも築いていきたい。」と大きく評価してくれています。

 「イラクからの声を聞き、考える」というスタンスで取り組んできたことが認められ、うれしい限りです。

 

 ■セイブ・イラクチルドレン・名古屋のことが取りあげられているページ

 http://alsadarhosp.p5.org.uk/SIC-N.htm

 

 ■バスラのサドル教育病院のホームページ

 http://alsadarhosp.p5.org.uk/

(NO.14-2005.2.8)

バスラ母子病院へ1万ドルの支援、クウェートからの新ルートも開拓

 12月18日、バスラ母子病院(アッバース君の通院している病院)へ、1万ドル分の抗がん剤を無事届けることができました。

 これまで薬を届けるルートはすべてヨルダンのアンマン経由でしたが、今回は冷蔵の
必要な抗がん剤を中心とした医薬品要請になっていたため、陸送距離の短いクウェート経由にトライ。

 クウェートルートでの陸送は、日本の市民グループとしては初めての試みであり、心配もしましたが、薬剤会社やクウェート人道支援センター(HOC)の協力で、無事バスラの病院に届けることができました。

 バスラ母子病院側の受入れ業務担当者は、フサーム医師。広島大学病院で白血病の研修を終えて帰国したばかりの、アッバース君の主治医でもあるドクターです。フサーム医師から、「悪性リンパ腫に苦しんでいる少女が、とても喜んで、私たちの薬の仕分けを手伝ってくれました。」と心暖まる感謝のメールと写真が届いています。

 この少女の笑顔がいつまでも続くよう、祈っています。

(NO.13-2005.1.12)

「いのちに国境はない」高遠菜穂子さん招き講演会

 12月27日、高遠菜穂子さんとアサード・カラフ医師の講演会「イラクと日本の架け橋に」が行われました。

 予想を大きく上回る約270名の皆さんの来場をいただき、やむなく途中で入場をお断りする事態になってしまいましたこと、本当に申し訳ありませんでした。

 アサード医師は、約1年にわたる日本での医療研修や日本人との交流を振り返り、「医療研修はもちろんのこと、勤勉で思いやリのある人々から多くのことを学びました。帰国するのは寂しいですが、私は日本で得た医療技術をイラクに持ち帰って、イラクの人たちのために役立てなければなりません。白血病治療のとりでとなるであろう骨髄移植センターの立ち上げが、国情の不安定のため中断されたままになっていますが、日本からの支援も得て、何とか前に進めたいと思います」と抱負を述べました。

 高遠菜穂子さんは、ファルージャその他の実情について、「イラク人は報道もされることなく殺されている。報道しようとするだけで殺される。事態の悲惨さは皆さんの想像を大きく超えている」と訴えました。高遠さんの協力メンバーのうち、サマッラの取材に出かけた2人が、「(取材用の)ビデオカメラをもって来た」というだけで米軍に射殺されてしまったそうです。命に国境はない、世界中の命は等価であるべきだ、という彼女の思いを強く感じいる講演会でした。

 最後に、高遠さんが取り組んでいる学校再建プロジェクトやストリートチルドレンの就職プロジェクトのために、カンパを訴えさせていただいたところ、25万円近い善意が寄せられました。これについては、当方で責任を持って高遠さんに届けさせていただきます。ありがとうございました。

(NO.12-2004.12.28)

名古屋弁護士会2004年人権賞を受賞

 名古屋弁護士会が毎年人権の擁護・確立のための活動を行った民間の個人、グループ、団体を表彰している名古屋弁護士会2004年人権賞をセイブ・イラクチルドレン・名古屋が受賞することができました。

 12月15日に行われた授賞式には、小野代表や塩之谷副代表などが出席。「素人の手探りの活動が評価され、うれしい」と喜び感謝の意を表しました。

 受賞にあたって同弁護士会からは「現地の要請にきめ細やかに対応している」ことが評価され、今回の受賞に至ったと説明されました。

 これまで、この支援活動を支えて下さった、多くの個人・団体のみなさまにあらためてお礼を申し上げます。

(NO.11-2004.12.22)

イラク全土に非常事態宣言、ファルージャで病院がターゲットに

モハメド医師からメッセージ


 モハメド医師から米軍によるファルージャ攻撃が開始されたことを受け、メッセージが届きました。


友人のみなさん

 

 重要なことをお伝えしなければなりません。サウジアラビアのイスラム指導者たちがイラク国民に、外国軍の支配とたたかうようよびかけました。また、イランのシーア派指導者も、イラクの人々に占領支配とたたかうようよびかけています。イラク国民にとってはすばらしいこの2つのニュースは、事態を一層悪化させるでしょう。

 イラク国民はこれら指導者たちを信頼しています。日本はこの点について考えなければならないと思います。日本の軍隊も外国の軍隊ですし、米軍を支援していると見られているからです。みなさんは何を待っているのですか。もっと多くの日本人の命が失われるのを待っているのですか?!

 

 イラク国軍は昨日、北部のクルド人自治区を除いたイラク全土に非常事態宣言を出すことを決めました。昨晩、ファルージャへの攻撃が始まりました!

 私たちは民間人の命が助かるようにと祈りを始めました。米英軍は日曜日の朝からファルージャ市を完全に包囲してしまっています。みんな大きなストレスにさらされた状態です。ずっと祈りをささげています。

 

 みなさん
 書き続けられません。今の事態が心配で心配でならないのです。つい数時間前にファルージャの病院が爆撃され、医療関係者がとらえられたというニュースを聞いたところです。新しいニュースが届くのをまって対処しなければなりません。

 

モハメド(2004年11月8日受信)

(NO.10-2004.11.9)

事態は悪化、イラク国内はアメリカ軍やテロリストグループの支配下に

モハメド医師からメッセージ


 8月末にイラクへ帰国した、バグダッドのモハメド・ダハム・ハッサン医師から、香田証生さんの誘拐・殺害事件を受けてのメッセージが届きました。


 友人のみなさん

 

 忙しい中ですが、日本人の誘拐・殺害事件が起こり、今の事態についてお話しておかなければと思いました。いくつか大切だと思われる点についてご説明します。

 実際、前に何度もお話しましたが、事態はさらに悪化しています。イスラム教指導者たちと協議することさえ不可能になっていますが、それは、指導者の多くが投獄されたり、イラクから逃げ出したりして、イラク国内がアメリカ軍やテロリストの支配下にあるためです。現在の状態が想像できるでしょうか。
 これら勢力のある者は金のために、またある者はアメリカ軍を追い出すために、抗争を繰り返しています。さらにこんな治安の悪化で利益を得る者もいます。こうのような状況が、疲弊しきったイラクに追い打ちをかけ、その快復を遅らせているのです。これらの人々の背後には大抵よその国がいます。

 

 絶対にイラクに日本人を来させないでください。バグダッドの私たちはさらに困難な状況のもとで生活しています。毎日、町の中で、民間人に対する爆撃が3〜4回は起こっています。それは昼夜を問わず、特に早朝に起こっています。ハイウエイは使えません。なぜなら米軍の装甲車が頻繁にハイウエイを通過し、その米軍をねらった攻撃がしょっちゅう起こっているからです。爆撃の近くにいれば死ぬ確率は90%です。ハイウエイで攻撃される可能性は非常に高いため、本当に緊急の時以外は誰も使いません。

 また、米軍と協力関係にあるイラク軍は、米軍の指揮下で活動しているため、常時攻撃の標的になっています。先週、デイアラ市で49名のイラク軍兵士が殺害されたニュースをご存じでしょうか。前にお話しましたが、イラクの医師や科学者たちもまた殺されており、そのためイラク国外に脱出する人が増えています。

 つまり、イラク国内のイラク人はどんな人でもみんな殺される脅威にさらされているのです。特に、政党に関わったり、イラクの閣僚の事務所で働いていたり、あるいはどんな分野であれ、名の知られた人など、人と違った特徴を持つ人たちが殺される可能性はさらに高いのです。

 もちろん外国人が殺される可能性はもっと高く、だからこそ日本のみなさんに、全員イラクから引き上げること、充分用心していただくようお願いしているのです。日本の軍隊(自衛隊のこと)のみなさんが、できるだけ早くイラクから撤退していただくよう、重ねてお願いします。私の国イラクは、このあともさらに危険な状態になるでしょう。自衛隊員であれ誰であれ、日本は自国の人々の命を守るべきです。

 

 私たちはイラクと日本の協力関係の継続を望んでいます。私は日本人が殺されたことについて、本当に申し訳なく思っています。どうかイラク国民を責めないでください。私たちはみなさんと兄弟関係を続けたいのです。実際に、私のことやイラクを憎む人がいるとしても、その気持ちはよくわかります。でも、私たちに何ができるでしょう。

 

 最後にみなさんに訴えたいのは、少なくとも今の時点ではイラクに未来はないということです。イラクのリーダー、アラウイが選挙について語っている一方、ファルージャでアメリカからの大規模な攻撃が行われようとしているのです。なんということでしょう。実に皮相ではないでしょうか。

 

日本のすべてのみなさんへ

モハメド・ハッサン(2004.10.31 受信)

(NO.9-2004.11.7)

「日本の皆さんありがとう」イラク人技師のアブドゥルさん、ワファアさんが帰国

 イラクへ送るCTスキャンの組み立てや運用・メンテナンスを学ぶために9月16日から来日していた、イラク人技師のアブドゥルフセイン・アリさんとワファア・バーダーさんは日本での研修を無事に終え、10月15日に帰国されました。

 休日には高校の文化祭などにも積極的に出かけ、イラクと日本を結ぶ市民大使としての役割も果たされました。

 アブドゥルフセインは帰国にあたって「みなさんにどのような言葉で感謝したらよいのか。家族の一員みたいにうち解けて大好きです。感謝しきれません。日本での研修についてはセイブ・イラクチルドレンと東芝メディカルの皆さんに感謝します。自分たちの得にならないことを親切にサポートしてくれて感謝の気持ちでいっぱいです。たくさんのマニュアル、組み立て、メンテナンスなど学ぶ情報があまりにも多くありますが頑張ります。皆さんと一緒にすごして、聞いていたように日本人はていねいで行儀良く親切という強い印象をうけています。家族のような皆さんとわかれ、帰国することは寂しく、悲しいですが、皆さんとのフレンドシップが永久につづくように。皆さんのことは、イラクへ帰ってからもずっと忘れません」と語りました。

 ワファア・バーダーさんは「日本に来ることは不安で複雑な気持ちでした。私は、イラクで家族を亡くしました(夫を結婚して6ヶ月後に亡くされた)。皆さんが家族のようで充実した日を過ごすことができました。私のもう一つの家族を残してイラクへ帰ることはとても残念です。日本の印象は、日本人の皆さんは腰が低くてとてもていねい。大好きです。皆さんと過ごしたこと決してわすれません。セイブ・イラクチルドレンを日本のグループとしてみるのではなく、イラクのグループとしてみています。私もセイブ・イラクチルドレンのために何かしたい」と語っていました。

(NO.8-2004.10.17)


 10月3日にアブドゥルさんとアファアさん、それからアサード医師も一緒に、豊川高校
学園祭に行って来ました。

 午前中は写真家の広河隆一さんの講演を聞き、アサード先生が講演後、イラクの現状についてお話されました。午後からは校舎内の見学へ。イラクの高校には保健室がないようで、保健室で養護の先生にいろいろ質問していました。調理室や理科室にも驚いた様子で「ここではなにをするのか」と熱心に聞いてました。そのあと学園祭をエンジョイしに教室をまわり、茶道体験したり、習字や絵などの展示をみたりしましたが、3人は行く先々で子どもや生徒に声をかけ一緒に写真撮影。ワファアさんは浴衣がとても気に入った様子でした。もちろん浴衣の女子高校生とも写真撮影。帰りには福寄せの熊の手のお土産を豊川高校の先生からいただいてしまいました。

 それにしてもイラクの方は陽気だと聞いてましたが、本当ですね。朝から、そして帰りの車でもずーっとしゃべりっぱなしで、アブドゥルさんとワファアさんがアサード先生に「どうしてそんなに堅いんだ」「もっとリラックスして」と、ジョーク一杯で、楽しい週末を過ごせたのではないでしょうか。私も非常に楽しい一日でした。(菊池友希子)


 10月9日から10日に、セイブ・イラクチルドレンのメンバーであり、岐阜県安八町でお寺の副住職を勤める大平一誠さんの招きで、お寺でのステイをアブドゥルさんとワファアさん、アサード医師とともに楽しみました。私にとってこの二日間は、フセインさんの言葉を借りるならば「一生忘れない」ものとなりました。

 まず、竹内さんが運転してくださった行きの車中では、陽気な二人がアサードさんに
「ずっと日本にいたら」「日本人女性と結婚したら」等々の冗談を飛ばして笑いが絶
えませんでした。二人は、もっと日本にいたい!としきりに言っていました。

 到着後、想像以上のおもてなしが始まりました。アラビックBBQは「おいしい!」とぱくぱく。フォークをすすめられても、お箸を使うとがんばっていました。とても上手に使えてました。10日に開いていただいたお茶会(本格的)でも感じたのですが、日本の伝統や文化を重んじて、日本人のように振舞おうとしてくれる姿にはとても嬉しくなります。挨拶で、フセインさんの「もう外部から来た外国人ではなく、皆さんの家族の一員になれた気持ちだよ」という言葉にはとても感動して、通訳をする前に思わず溜め息が漏れてしまいました。
 アラビックBBQを囲んで岐阜の皆さんとの交流会では、沖縄民謡のミュージックショーもあり、「日本の人たちは想像を越えるおもてなしをいつもしてくれるね」とアサード先生もすごく喜んでおられました。
 夜は大平さんの扮するマイケル・ジャクソンならぬマイケル・シャクソン(釈尊)と、アサード先生の出演されたドキュメンタリーTVやセイブ・イラクチルドレンに関る数々のニュースのビデオをみせてもらいました。イラク問題のニュースは、本当に深刻な内容だったので、ワファアさんは泣き出してしまいました。「過去は思い出したくないよ。今を生きて未来をみつめたい」と話し始めたフセインさん。辛さが伝わってきて、何とも悲しい気持ちになりました。

 フセイン政権の残虐的な圧政についても話してくれ、「悪いのは私たちの政府。サダ
ムフセインも米軍もいらない。ほしいのは国を再建するためのサポートだよ」と強調されていました。

 アメリカ外交史のこれまでの研究は、アメリカ側の政策決定過程を問題にするものが
多く、意外にも「他者へどのような影響を与えているのか」という視点での研究がほとんどなされていません。私はこの活動に微力ながらも参加させてもらって、その視点の重要性を改めて感じさせられました。3人が教えてくれたこと、みなさんと共に学べたことを自分の勉強に繋げながら、この活動をもがんばっていきたいと気持ちを新たにしました。(渡邊真紀子)

5万点の医療機器材、バスラの病院に無事到着

 8月2日、名古屋港を出港した200種類5万点の医療機器材はイラク・バスラのバスラ教育病院とバスラ母子病院に無事到着しました。

 隣国のクウェート港にコンテナ船が到着したのは9月初めでした。機器材が国境を越え、病院に届くには多くの時間が掛かりましたが様々な困難を超えながらも、クウェート、イラク、そして日本のスタッフの奮闘で目的を達成することができました。

 ご支援いただいたみなさんにあらためてお礼を申し上げます。

 なお、10月下旬から11月を目途にCTスキャンなどの大型機器を第2便として送る準備も進めています。引き続きみなさんのご支援をよろしくお願いします。

(NO.7-2004.9.29)

CTスキャナーなど高度医療機器の技術研修に2人が来日

 9月16日、バスラの病院からお二人の医療器械技師が来日しました。アブドゥルフセイン・アリさん(51、バスラ教育病院)とワファア・バーダーさん(43、バスラ母子病院)です。二人は、1ヶ月間滞在し、医療器械一般、主としてCTスキャナーなどの高度機器について、構造・組立て・メンテナンスなどを学ぶ予定です。
 来日翌日の9月17日、長旅の疲れを癒す間もなく、甚目寺町の公立尾陽病院にて研修。実際にイラクに贈られるCTスキャナーの解体作業に立ち会い、構造や扱い方を学びました。
 朝10時から夜8時までに及ぶハードスケジュールでしたが、熱心にメモを取り、「シ
リコンはグリースで代用できないのですか。」などと質問もしながら、一日を終えました。
 アブドゥルフセインさんは、「私が以前扱ったのは1979年式でしたので、全く別器械のようです。ですが、今日の指導でこの器械については組み立て・インストールの自信ができました。今、バスラには1台しかCTスキャナーがないため、重要な検査が半年待ちになっていて、その間に亡くなってしまう患者さんがとても多いのです。これで多くの人たちの命が救われると思うと本当にうれしいです」と感想を語っていました。

(NO.6-2004.9.23)

医療機器材の免税などを求めて小野代表と塩之谷副代表がクウェート入り

 わずか4日間(実質は3日間)のクウェート滞在でしたが、大きな収穫がありました。行った甲斐があったとしみじみ思っています。

 現時点では、クウェート経由でのイラクへの物資搬入が認められるのは、軍事物資と人道支援物資に限られています。この人道支援物資のアレンジを行っているのが、クウェート政府が組織しているクウェート人道支援センター(HOC)です。
 私たちは、「免税」「通関時間の短縮」をお願いに行ったのですが、人道支援物資は、このHOCの認証印がないと通関すらできないのが実情のようでした。

 私たちのHOC担当者はジョージ・フランクリンというイギリス海軍の事務将校で、HOCに出向してきています。ジョージ本人は個人的にはたいへんいい人で、私たちの活動にも献身的に協力してくれています。私たちに何とか医療機器材との対面やバスラ教育病院のカリド病院長との面会を実現しようと一生懸命に走り回ってくれました。また、アッバース君のクウェートルートからの帰国を実現するため、クウェートビザ発行と国境越えについても最善を尽くすことを約束してくれました。

 同行した映画監督の藤本さんは、「たった4日間でよくこれだけのすばらしい成果を
出されたと、驚いています。」と言ってくれました。(小野万里子)

(NO.5-2004.8.6)

5万点の医療機器材、クウェート港に向け出港

 8月2日、名古屋港の弥富埠頭にある日本通運富浜流通センターで、イラクへの医療機器などの出港セレモニーを行いました。

 レントゲンや超音波機器などの大型機材をはじめ、保育器、ベッド、車いす、その他消耗品など200種類5万点が、大型コンテナ2台と小型コンテナ1台に納められ、コンテナには「イラクと日本の平和のために」との横断幕もつけられました。多くの機器を寄せてくださったセイブ・イラクチルドレン・札幌の皆さんも、遠路はるばる参列されました。

 冒頭、あいさつにたった小野代表は「中古品を集めて送るのは思いもよらないアイディアでした。梱包も通関手続きも初めてのことで、多くの方たちの助けでここまでこられました」とあいさつしました。

 山縣副代表から目録を受け取ったアサード医師は「イラクの病院に役立つものばかりです。ここまで実現してくださった日本の皆さんの努力に感謝するとともに、これをイラクの人々のために役立てることをお約束します。」との感動的なあいさつをしました。最後の機材を積み終えたコンテナには、小野代表はじめ、札幌と愛知県保険医協会の代表がシールド(封印)をし、大型トレーラーに引かれてセレモニー会場を後にしました。

 コンテナ3台は、翌日の8月3日午後に名古屋港を無事出港し、8月30日にはクウェート港に到着予定です。

(NO.4-2004.8.4)

中古医療機器の仕分け終わる、8月3日には出港

 イラク・バスラの病院に送る医療機器や注射器などの消耗品を仕分けする作業を7月16日に、輸送を請け負う日通の倉庫でおこないました。作業には小野代表、保険医協会の堀尾理事長など19人が参加。テレビ局、新聞社などのマスコミも取材に駆けつけました。
 作業は各医療機関やセイブ・イラクチルドレン・札幌から提供された機器をリストで確認しながら、バスラ教育病院行きと母子病院行きとの二つに分けて、それぞれにセイブ・イラクチルドレン・名古屋・ジャパンと英語とアラビア語で記した可愛いシールを貼りました。また、アサード医師も研修に忙しい合間をぬって駆けつけ、顕微鏡などを中心に念入りにチェックをしていました。

 今後は、8月2日に名古屋港のコンテナ埠頭で出航セレモニーをおこない、8月3日に出港、8月30日にはクウェート港に入る予定です。

(NO.3-2004.7.16)

中古医療機器・機材を贈ります

 日本の病院等でモデルチェンジのため眠ったままになっている中古医療機器も、イラクの病院では貴重な戦力となって多くの子どもたちの命を救うことができます。

 このたび、イラク・バスラの病院(バスラ教育病院、バスラ母子病院)からの要請に応え中古医療機器を贈る活動を始めました。

 愛知県保険医協会、セイブ・イラクチルドレン・札幌から全面的協力をいただき、また医療資材メーカーなどからも提供申込みが相次ぐなど、大量でしかもたいへん充実した内容になりました。CTスキャン、超音波機器、レントゲン機器、内視鏡、遠心分離器などの精密機械はもちろん、高性能保育器やベビーベッドなど、バスラ母子病院が心待ちにしていたもの、輸液セットや注射器などの医療消耗品、車いすなどもたくさん提供いただきました。提供品には、かわいいイラクチルドレンステッカーが貼られます。

 「希望のコンテナ」を載せた船は、第1便が8月3日に名古屋港を出発し、同30日にクウェート港に到着の予定です。

(NO.2-2004.7.15)

ファルージャへ緊急支援を実施

 5月、ファルージャ総合病院に約200万円相当の医薬品・消耗品(緊急外科薬のほか、一般薬品、カテーテル、注射器など)を贈りました。

 ファルージャと言えば、虐殺の町、日本で手術を受けたモハマド君の町、殺害されたジャーナリストの小川さんが、殺害される直前に「ファルージャで引き起こされているのは虐殺です。米軍のスナイパーは、おもしろ半分のようにして通行人や子どもたちを撃っています」と書き送った町です。

 名古屋で研修中のモハメド医師と、ファルージャのモハメド医師との力を借り、無事医薬品を届けることができました。感謝のリポートと映像が届いています。

(NO.1-2004.7.14)

ファルージャへ緊急支援を実施

 

 このたびは、私どものかけがえのない友人高遠菜穂子さんら拘束された日本人の救出活動にご協力いただきありがとうございました。

 この間、私どもは、微力ではありますが、高遠さんらのイラクでの活動、そして平和を願う日本市民のイラクの人々への思いを、イラクに向けまた世界に向け発信し続けてまいりました。アサード、モハメド両医師、アッバース君のお母さんも不眠不休でイラクの知人らに呼びかけてくれました。私どもにとっては、世界中の多くの市民の思いが一つにつながり、日々大きなうねりとなっていく様を実感できた感動的な1週間でもありました。

 もとより、解放にあたって一番大きな力になったのは、人質とされたご本人らのこれまでの真摯な活動や資質だったでしょうが、それを伝えるために世界の多くの人々が行動したこともまた注目されるべきことだったと思います。私どもは、ここに未来への一筋の明るい光を見る思いです。

 ありがとうございました。

2004.4.16

 

セイブ・イラクチルドレン・名古屋

小野万里子

 

▼モハメド医師のメッセージ

   メッセー文:英語・日本語  メッセージビデオ:アラビア語

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▼高遠菜穂子さんのイラクでの活動

   (フォトジャーナリスト森住卓さんのHP)

 


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